3 アララット山登頂
年月日 2011年8月10〜11日
天気 晴れ時々曇りか霧
タイム Base Camp(9:00)…C2 Attack Camp(4100m)(11:50/13:35)…引き返し点(4330m)(14:17/14:30)…C2 Attack Camp(15:00//1:15)…雪面に出る[アイゼン装着](4900m)(6:15/6:30)…山頂(5137m)(7:10/7:40)…アイゼン外す(8:10/8:20)…C2 Attack Camp(11:16/14:15)…Base Camp(16:15/16:30)…Burfan Family House(17:30/18:00)…Ararat Cafe(19:00/19:20)…Eli[車終点](20:10)=Dogubayazit Hotel Isfahan(21:00)

夜が明けて影アララットを見る
 朝我々のパーティにも荷揚げ用の馬が到着。ベースキャンプを撤収し、昨日と同じように朝は晴れて後に時々ガスが流れる天候の中、再び身軽な格好でアタックキャンプへ。Saffetは煙草が切れたといって辛そうな顔をして他の客から恵んでもらっていた。同行のブルファンお父さんも常にヘビーに煙草を吸っているので、なるべく離れて休む。高所にも慣れてきているはずであるがまだ頭痛があって完璧ではない。順応できるのは一晩泊まった高度までだろう、高所登山は長い忍耐の積み重ねでもある。キャンプに着くと村人たちが早く登ってきて各グループの場所を確保していたが、我々も下段の方に陣取ることができた。ヨーロッパ中心に各国の多くのパーティーと会った。頂上アタックしてベースキャンプへ戻る人や順応のトレッキングの人など、登頂して満足そうにガッツポーズの人、体調悪いのか何も答えない人も。キッチンテントでティータイムの後、順応の為上へ行くか休むかは各自自由ということ、Kさんは体力温存の為にテントで休んでいるというので、私は一人で少し上部へ歩いてみた。1時を過ぎるとほとんどの人は下山してしまい、見かける人は僅かである。キャンプからやや足場が悪いガレ場を100mほど登ると岩の突起がある小ピークに出て、ルートは右へ傾斜の緩い尾根をトラバース気味についている。右下は雪渓になっていて、キャンプからもこの辺を歩く人の姿が間近に見られる所。多くの人が登るので踏み跡ははっきりしている。私の高度計で4320mになった所でしばしのんびり休んでからゆっくりと下った。早めに4時半に夕食、食欲は無いが明日のエネルギー源を頑張って補給。深夜出発に備えて早く寝るが、この高度では順応できていないので眠りは浅い。
雪面に出ると山頂が見えて最後の登りとなる
 最終日、長い一日の始まりだ。12時起床、1時過ぎに出発。天気は良さそうだがこれまでより風が強くて寒い。私は行動中も持参した防寒具を全部着たがそれでも止まっていると寒くなる。キャンプの出発は我々のグループが最初であった。太った方のロシア人が不調らしくペースはかなり遅い。パーティーが別れてしまうので先頭のSaffetの後ろに着くようにいっても、彼は後ろから自分のペースで歩くといってなかなか言う事をきかない。Kさんも調子はあまり良くない様子。岩の上を歩く部分もあるが良く踏まれていてヘッドランプで歩くのに支障は無い。後続の大きなパーティーに追いつかれて、チェコ3人組は元気なので山頂の日の出に間に合うようそちらに付いて行ってしまった。やっとロシア人が前に行ってくれて残りのメンバーはゆっくりのペースで進む。東の空が赤く染まって美しい日の出を迎えた。反対側のトルコの大地には影アララットが現れ、雲海も無く目ざわりなものもない純粋に荒涼たる台地に映るシルエットが感動的な光景だ。明るくなると自然にペースが上がるもの。雪面に出たところでアイゼンを付ける。あと標高差200m、前方には山頂へ向かう人の列や、山頂に立つ人の姿も見渡せる。雪面はかなり堅いのだが傾斜は緩いので、Saffetなど慣れた人はアイゼン無しで歩いている。山頂を目の前にすると最後のふんばりでだいぶペースが速い。やばい今度は私がばててしまったけれど、少々遅れて無事山頂到着。Saffetには抱きかかえて肩をたたいて迎えられる。金属の箱と太い円筒型の標識が立ちVARTAという文字、電池会社の広告みたいで何とも山頂には不似合いと思っていたが、後から思うに何かの観測機器かもしれない。
山頂から小アララット山を見る
今日は雲が全くかかっていないので展望は最高である。ここまで上がると隣の小アララットを除いて、周辺の乾燥した岩山は台地の中に飲み込まれて、地平線の遠くに名前の知れない山脈(雪は無い)がわずかに浮かんで見える。地球の姿を感じる風景とでもいうべきか。最初山頂に30人くらいいて混雑していたが、しだいに減って写真を取りあう余裕が出てきた。風はかなり強く、風下側に少し下りて休んだが、それでもじっとしていると寒い。遅れたロシア人もかなりボロボロになりながらついに到着し、パーティー全員登頂。
 寒いのでSaffetとロシア人より先に出発。下りは全く同じルートを戻るのであるが、踏み跡が入り組んでいるところを前のフランス人女性パーティーにつられて左に寄りすぎた。Saffetが追いついてきて気づき、岩の上をトラバースして正しい道に戻る。Kさんはゆっくりしか歩けず休み休みのペースなので、私は先に下った。我々を抜かしていき頂上で元気だったフランス女性隊でも下りで調子悪くて歩けなくなる人が出て、ガイドが酸素を吸わせているのを見た。高度障害は少し遅れて出て、標高を下げてもしばらく影響が残るのかと思う。私も下りといってもいつものペースでは歩けず休み休み行く。アタックキャンプではお父さんがお茶を沸かして待っていてくれた。昼前には皆キャンプに下り着きテントでぐっすり休んでいた。Saffetはすっかり仕事を終えた様子で他のガイドと雑談をしていて、撤収作業はのんびりとはかどらない。下りの行程も長くて明日の予備日も無くKさんがゆっくりしか歩けないので心配。準備を終えて待っていると寒いので了解を得て先にKさんと2人で出発した。途中で他のメンバーに追いつかれたが、その後は途中の休憩も多く、顔見知りやフランス人女性隊にもSaffetが何かと話しかけるので休憩時間も長い。そのため私は高度影響と疲労の蓄積にもかかわらず体力的には楽になり、よく登頂日の下りでバテるという目には合わずに済んだ。Ararat Cafeでついに暗くなってしまうが街灯りと月明かりを頼りに1時間歩いて迎えの車に到着。
360度展望の山頂にて
 ホテルに着いてもはしゃいでいるSaffetに、明日の空港への車とガイド料のことを確認。案の定車の手配は忘れていたが、その場で携帯でタクシーを手配していた。ガイド料は今度は私があやふやになってしまい、彼に送ったメールを見て確認する。ゴタゴタしてたので事前に送った入山申請金100Euroを引くのを忘れた。あともう1件いやな問題があった。実は山中で私がチェコ学生3人組みのデジカメで写すように頼まれた際落としてしまい、それからカメラが壊れて全く写せなくなったといい、このカメラも借り物で弁償しなくてはならないのでお金がほしいと言われており、彼らよりこっちがずっとお金に余裕あることは間違いないので、残りの現金100Euroほどを払う事でKさんも仲介に入ってくれて談判成立。やっと夕食に行ける。ラマダンの夜は相変わらず賑わっている。例の通りに面したロカンタ(より大衆的レストラン)に入ると、ケースの中の肉や野菜の料理を選べる方式で値段も安く直ぐ出てくるのでなかなか良い。空いていたので店員も全員が大歓迎の笑みを浮かべて握手で迎えてくれた。当然ここもアルコールは置いていない。帰り道、前回の店は開いていたが、今日は部屋での乾杯もやめて早くシャワーを浴びて休むことにする。
 登頂成功したから言えるのかもしれないが、Saffetのような地元のガイドはアララット山の事を知りつくしていて登山の現場では頼れる存在だった。事前の日程やガイドなどの手配について、ちょっとおろそかな感じがずっとしていたのだが、登山ガイドとしては良かったと思う。何しろ料金は大きなツアー会社の半額なのである。登山技術的に難しい山ではないので、基本的に自力で登るようなつもりの人にはお勧めか。それから参考情報として、Web Siteは名前が変わったようなので、彼のガイド会社はAraratSunriseという名前を変えるのかもしれない。

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