2 アララット山へアプローチ&高所順応
年月日 2011年8月7〜9日
天気 晴れ時々曇りか霧
タイム Ersu Hotel(7:30)=Saviha Gokcen Havaalani[Istanbul Domestic Airport](8:20/11:30)→QX9436→VAN Airport(13:20/13:45)=Muradiye Falls(15:00/15:20)=Dogubayazit Hotel Isfahan(16:40//8:20)=Eli[車終点](2200m)(9:15/9:35)…Ararat Cafe(10:20/10:40)…Burfan Family House(2920m)(12:00/12:50)…Base Camp(3350m)(14:30//8:45)…C2 Attack Camp(4150m)(11:50/12:30)…Base Camp(14:20)

 アララット山麓へ向け、トルコの東イラン国境に近いワン(Van)まで国内線で向かう。サビハ・ギョクチェン(Saviha Gokcen)というアジア側の空港はバスで行くしかなく渋滞すると時間がかかるので不便。ホテルに迎えに来てくれるシャトルバス(1人10TL)の時間も限られ、朝7時半の便に乗る。高速道路からボスポラス大橋で海峡を渡る。近郊では新興住宅開発が進められて経済発展著しい様子を見ることができる。朝早く出たためか渋滞もなく順調に1時間で着いたので、カフェなどでだいぶ時間をつぶすことになった。トルコ国内線は5社ぐらいあって競争が激しく、早期購入のディスカウントチケットは100TL(\5000弱)以下のものもある。トルコ航空はやや割高感があり、ネットで時間と値段の有利なSunexpressという航空会社の便を選んだ。区間毎に運行している会社が別で、今回の旅行は毎回違う航空会社の便を予約することになった。
Dogubayazit Hotel Isfahanの前に止めてあったアラバント車
 アナトリア高原の乾いた大地の上を飛び続け、雲が湧くやや高い山脈を過ぎると広いワン湖が見えてきて、2時間かけてワン空港に到着。小じんまりした建物1つだけのローカル空港で、荷物を受け取り外に出ると、すぐにトルコ人ガイドのSaffetに声をかけられた。ここまで来ると日本や中国などの人はほとんど見ないので目立つというわけだ。彼は30代くらいに見えガイドとしては若い方か。登頂ツアーを申し込んだAraratSunrise社はネットで調べて問い合わせた中で、値段が安く旅行代理店のような堅苦しさが無い感じなので選んだ。最近Websiteが消えてしまい、送迎依頼を含めて何度も念押ししていたが、メールの資料など簡単でたどたどしい感じだったので、ちゃんと来てくれるか一抹の不安があった(サイトは別のアドレスに移ったことが後で判明)。本人が迎えに来てくれてまずは一安心。でも彼は「4人じゃなかったの?」と怪訝な顔をしている。
 運転手と計4名でちょっと大きめのワゴン車に乗って出発。初の日本人客4名を歓迎しようと迎えにきてくれたようだが、人数を間違えていて拍子抜けだったか。道沿いの店に寄って、車中での好きな飲み物をなど買ってくれた。彼らは暑いと言ってアイスを食べているが、標高も高くなり我々は日本の暑さで鍛えられているのかそれほどでもない。さっそく日本の話、特に地震の話など聞かれ、後日談になるがこの地で大きな地震があり、付近の人口約50万人のうち500人以上が犠牲になり、トルコも地震が多いことを認識。昨年行ったニュージランドのクライストチャーチでもやはり犠牲者が出た。日本に居ようが海外に居ようが地震国なら同じ、現状は運命は神のみが知ることか。
 しばらくはブルーの色が美しいワン湖や遠方に4000m級のスファン(Suphan)山方面を望みながら景色を楽しむ。運転手は前の車を抜きながらかなり飛ばすのだが、走行中車のドア周りのバックミラーや雨除けが剥がれ落ちていった。笑ってすませているがこの車大丈夫だろうか。途中茶色がかった水が流れるムラディエの滝(Muradiye Selalesi)に寄って、つり橋を渡ってちょっと見物。大陸の滝というと落差が無くて大体こんな感じ、あまり美しいとは言えない。乾燥した山越えの道となり、岩場が露出した山があちこちに有る。青空が覗いたりにわか雨が落ちてきたりちょっと不安定な天気。やがて山頂に雲がかかっているアララット山が見えてきた。上部には結構雪が残っている。彼らは富士山の方が均整がとれて格好が良いと言っているが、大きさではこちらの方が上でその姿には圧倒される。飛ばした割には3時間もかかって、やっと登山ベースのドウバヤズット(Dogubayazit)の町に到着。宿泊は中心部のはずれにあるホテルイスファハン(Hotel Isfahan)でツアー代に含まれている。安ホテルという感じで施設はあまり良くないし、周辺は荒れ地や工事中の建物などで趣が無い所。環境はまあ静かな方だと言える。
移住式テントに暮らす遊牧民の家に寄りながらアララット山麓を行く
 ロビーに居た同じツアーのチェコの学生3人組を紹介される。車でここまでイスタンブールから3日かけて走ってきたという。性能が悪いというその車は、ホテルの前に止めてあった旧東ドイツ製の小さいトラバントという車。Kさんがよくこんな車に乗るなあと感心していた。訪問地で書いてもらったらしき落書きやステッカーだらけだ。アララット山に登った後はイランから中東方面を2週間ほど旅行するという。登山についてSaffetの説明は時間と装備の確認など必要最低限で、おもむろに煙草を勧められ2人とも吸わないというと「吸わないの?」と不思議な表情してあとは雑談だ。彼は英語も良く話せて、軽いノリのお調子者、でもトルコ人は概して親切である。またトルコ人はスペイン人以上にヘビースモーカー、みな煙草を吸うのが当たり前という感じで煙には悩まされた。
 ホテルの男の子が上の階の部屋のベランダからアララット山が見えると案内してくれた。山頂は以前雲に隠れたままだ。イスタンブールでは全く気付かなかったが、今年は8月がイスラムのラマダンの断食月にあたり日没までは水を飲むことも禁止。Saffetは商店も全部閉店して何も無いよと言っていた。街中を少し歩いてみると確かに閑散としているが、開いている店もあるし言われないとそれほどには感じない。目抜きと見られるアブドゥッラーバイダル通り(Abdullah Baydal Cad)は途中から車侵入禁止で、通りの中央にテーブルが並べられ食事場所には事欠かない。Saffetは明日からの食料など準備してから夜7時にホテルに迎えに来ると言ったが来ない。AraratSunriseという会社はほとんどSaffetが個人的にManageしている様子、いつも携帯で話してたりしてきっと忙しいのだろうと、Kさんと2人で先ほどの通りに行く。日没時にモスクから流れる音楽を合図に人々がどっと繰り出したようで、雑談やゲームにふけっている人が大勢。レストランも混んでいたが空いている席を見つけて、定番のケバブにスープ・サラダなどを頼む。店員に「ビールは?」と聞いてみると「ラマダン」と言って横に首を振った。狭い通路をバイクが無遠慮に爆音を立てて通り抜け落ち着かない。これでは歩行者天国とは言えない。ホテルへの帰り道、EFESの看板を見つけコンビニのような小さな道でビールを手に入れることができ、部屋で一杯やることができた。
ベースキャンプからのアララット山、点々と荷揚げの馬も見える
 翌朝、早朝の山を見に外へ出るとアララットの山頂まで望むことができ、街の建物が少々邪魔になったがその姿を写真に写す。ホテルの朝食は簡素なものだが、パンとコーヒーには満足。ロシア人が家族なのか友人なのか大人数で旅行に来ていて、うち有志3人が登頂ツアーに参加する模様。結局ツアー客はチェコ3人組を合わせ男性ばかり8名、もう1人のガイドのブルファンを加えて4WDの中型ワゴン車に乗り込む。スーパーに寄ってキープしてもらっていた大量の食料を屋根に積んで出発。ガソリンはスタンドではなく、道端の小屋から子供が出てきてポリタンクから入れている。イランで安く調達したガソリンだというようなことを話している。みなこの地出身のSaffetと顔なじみのようだ。イラン国境への街道をしばし走ってから、左へアララット山の方向へ山道に入る。雲が湧いてきて山頂は隠れてしまった。ガタガタ道を30分ほど登っていき、標高2200mの何も無い広場で下車。林道は先に続いているがここがトレッキングのスタート地点らしい。しばらくすると上から馬に乗った一段が下りてきた。彼らが荷物の運搬役で、個人の荷物もほとんど預けて身の回りの物だけで身軽になる。馬はとても速いからと、後は任せて先に出発、チェコの学生は元気でポーター代節約のため、荷物・食料は全部自分達で担ぎあげるのだそうだ。ロシア組は教授風でもの静かなお父さん(出張で京都に行ったことがあると言う)に若者2人、1人は太っているやんちゃ坊主(どこでも腰掛けられるように軽量座布団をお尻につけてユニークなスタイルで歩いている)、もう1人はやせ型でおとなしい感じ。三人三様でおかしいのだが、GPS端末に日本製高級カメラなど所持品はとてもリッチだ。
 草原状の開けた裾野をだらだらと登っていき、ガスが湧いてきたので眺望はあまり眺められなかった。その分暑さからは解放された。やがて前方にArarat Cafeという看板が現れ、民芸品のお土産が並べられたテントがあって、ペルシャ絨毯を敷いた休憩スペースがあり、中で休憩タイム。ここで出してくれたのは飲むヨーグルトで、非常に酸っぱくて健康にはとても良さそうであるが飲み干すのは一苦労。人々は家畜を放牧しながらここでテント生活している模様。Saffetはこのあたりの村人とも顔なじみらしく雑談で油を売っている。コースの途中にはこのようなテント村が何か所もあり、道は入り組んで標識が無く幅広い馬道を避けて近道をするので、ガイドの案内が頼りである。良く子供がハローといいながら無邪気に駆け寄ってくる。写真を撮ったりして子供たちと話しているとチョコレートや飴をおねだりしてくるので、虫歯になるからねと断るのに一苦労。これはネパールなどのトレッキングでおなじみの光景。
広い草原のベースキャンプエリアに立ち並ぶテント群
昼ごろにさらに上部のテント村に到着、ここはガイドブルファンの家だそうだ。民族衣装の女の子のサービスでチャイやすっぱいチーズを御馳走になった。男の子や成人は外で放牧や農作業の仕事をしているようだ。見ていると村人は馬に乗りながら携帯で話してたりするのが何とも不釣り合いだ。休憩中にテントや炊事用具などここに置いてある装備を馬に積んで補充している。アララット山麓で、領土を持たない火の民クルド民族が遊牧生活をしているというドキュメンタリー番組を以前に見た。この人たちはクルド人ではなくてトルコ人だと言い、いきさつはわかならいがこの地に居住し、有名なアララット山を訪れる外国人のサポートをすることで現金収入を得ていることがわかる。ブルファンは別のUSAからのパーティーを迎えに行くと言ってここで別れ、彼のお父さんに代わるという。高所には慣れているというのだが年はかなりいってるようでちょっと頼りない。このような点は、登山のアレンジに関してSaffetの言う事が少しあやふやな感じ。
 この上には村は無くて、下から上がってきた女性が飲み物や民芸品を絨毯の上に並べて店を開いていたぐらい。疲れてくるとSaffetはあのモスクから流れる音階に似たトルコの流行歌を口ずさんで我々を励ましてくれた。最後に少し急な近道を登るとベースキャンプ(約3300m)に到着。見渡すと広いエリアには上にも下にも多数のテントが貼られ、ここまではさほど多くのパーティーを見なかったのに、入山者が多いことに驚く。5日間〜8日間ぐらい長い日程のツアーもあってここに長く滞在している人も居るようだ。会社別にエリアを確保していて、AraratSunriseは小さめであるが、我々のグループだけなので悠々とくつろげる。3グループ別々のテントとキッチン兼ガイド用の白い布製のトルコ製テント。とんがり屋根でパオに似た形で、下の村でも居住用に使われていた。上部からホースで下までホースで水が引かれて、継ぎ目を抜くとふんだんに水が流れ不自由しない。太ったロシア人など大胆にパンツ1枚で水浴びしている。到着後にティータイム、ビスケットやサフランのソフト飴などお菓子がたくさん登場、荷物を預けたのでここまであまり口にするものが無かったので有り難い。夕食にはまず美味しいスープが出され、ブルファンの家から連れてきた羊一頭を絞めた肉の煮込みとライス、歓迎のスペシャルメニューだ。骨付き肉は脂が多くて美味ではあるが量が多く、お酒も調達しなかったこともあって食はやや進まなかった。でも夕暮れ時には山頂も雲が晴れて雄大な景色は誠に気分が良い。日が暮れるとだいぶ冷えてきて衣類を着こむ。町の灯りが点々と輝きだし、中でも眼下のドウバヤズットの灯りは谷間に広がりなかなか大きな町だ。峠のあたりにも街道沿いに細長く光が続いていて、イラン国境で通関のトラックが待機する為なのだろうか。
C2 Attack Campにて雲が切れて山頂が見える
 高度と時差の両方の影響かまだ眠りが浅い。次の日はベースキャンプ滞在で、高所順応の日。Saffetはいつもの調子でどこまで行くかは我々次第、頂上までだって行けると軽口をたたいている。申し込み時点でWebに載っていた4日間コースの日程は、2日目がC2 アタックキャンプ泊で3日目登頂、4日目は予備日のつもりだった。その後4日目に登頂&下山と変更されたようで、予備日が無くなって4日目は忙しくドウバヤズットでゆっくりできなくなる点が不満。ただ天候が安定していれば高所に体を慣らすためにはこの方が良かった。朝食はパンに、バターの他オリーブや豆腐サイズのチーズにジャム・ペーストなどつけて沢山食べる。今日からは各人にチョコバーやフルーツなどの行動食が配られた。朝は晴れていたのが、出発する頃にはガスが湧いていて昨日と同じような天気。上部のルートは限られており、ツアー客に加えて荷物運搬馬が隊列を成して村人の誘導で頻繁に往来する。近づくと蹴飛ばされる危険があり道を譲らないといけない。斜面も急になるので、立ち往生している馬もいて、ムチでバチバチけつを叩いているのを見て他の客から思わず"Horse Bashing!"の声が。自分は先月富士山に登った時と同様多少の頭痛が感じられ、先月富士山頂で一泊したものの3週間経つと高所の影響はあまり変わらない。積雪期にキャンプ地として使われるという中間の標高約3800m付近で大休止。そして明日泊まるアタックキャンプ(約4100m)まで全員登り着いた。雲の切れ目から雪に覆われた山頂が覗く。狭いエリアにテントや馬や人がひしめいて混雑し、これではここに2泊することもままならないと思う。キャンプ地は上段と下段に分かれていて、我々は上段まで行ってから引き返した。チェコの3人組はこれでは物足りないとSaffetに交渉して先へ向かった。太ったロシア人は、ここまで来てまた下るなんていやだとわがままを言っている。下ってからはゆっくりと休養しだいぶ体が慣れてきた。チェコ学生のうち2人は暗くなり始めたころ戻ってきた。頂上直下300m雪上に出る手前まで行き、疲れたといいながらも元気、若さには勝てない。鶏肉とパスタの夕食後、日暮れ時に外へ出ると、上のキャンプへ遊びに行っていた若者たちがビールを仕入れて戻ってきた。Saffetの顔で特別にもらえたといい、お父さんが起こしてくれたたき火を囲んで雑談しながら、ラマダンなのに思わぬ所で恩恵に預かった。

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