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メキシコ ポポカテペトル(5452m)登頂 その2
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| 【トラマカス滞在は楽ではなかった】 |
| 年月日 |
1993年1月1日(金) |
| タイム |
トラマカス[3900m](10:00)…ラスクルセス避難小屋跡[4480m](12:32/13:30)
雪上訓練…トラマカス(14:25)
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遊歩道のようなトラマカスからの下部登山道
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寝つけない長い夜を過ごした。ゆっくりと出発し、プラブーツをはいて遊歩道のような火山砂の幅広い道をポポへ向けてゆっくり深呼吸しながら歩く。晴天であるが頂上付近だけはガスに煙っている。ポポの斜面をトラバースしていく緩い傾斜の道を2時間半ほどで、SOLOEL QUEAMA COMO JESUS ES FELIZ と記された避難小屋跡に到着。この先は雪の斜面になる。昼食とアイゼン歩行などの簡単な雪上訓練を行ってからトラマカスへ戻る。
明日のアタックに備え体を休めるが、所詮この高度に1日で順応するのは無理であり、高所に居るだけでも体力は消耗していく。頭痛も続くし、キリマンジャロの時と同じように下痢も起こしてしまう。食欲は減退気味ながら食べることはできた。アタックのことが気になり、トイレにも数回起きて、うなされるような夜を過ごす。
| 【タイムリミットぎりぎりの登頂】 |
| 年月日 |
1993年1月2日(土) |
| タイム |
トラマカス(3:30)…避難小屋跡(6:05/6:25)…火口壁[5250m](10:30/10:57)
…山頂[5452m](11:57/12:05)…火口壁(12:35/13:00)…避難小屋跡(14:50)…トラマカス(15:55)
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頂上アタックの日。マリオと教え子の他に、謎のドイツ人が一人交ざることになった。避難小屋跡までは、ヘッドランプを頼りに昨日と同じようなペースで順調に来た。ここでアイゼン装着。緩い傾斜を少し行くと、あとは火口へ向け直線的な登りになる。それほどの急斜面というほどでもなく、雪も柔らかいので、ザイルは使わずに登る。
雲海上のマリンチェとオリザバの夜明け
| 蒸気を上げる頂上噴火口
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朝焼けのオリザバとマリンチェが姿を見せ、明るくなるとアイゼン歩行しやすくなるが、かわりに高度が登高を阻む。私よりもN,Mさんのペースがガタっと落ちる。私はと言えば、オーバー手袋を流してしまいひやりとさせられたが、運良く少し下で止まり、マリオがさっと下って取ってきてくれた。感謝!
斜面を登りきると、目の前に風化した岩と雪で囲まれた噴火口が現れる。硫黄の臭いが鼻を突く。しばし大休止の後、あと頂上まで標高差200m頑張ろうとするが、N,Mさんはこれ以上登れないというので、待っていてもらって、私とメキシコのガイド2人とドイツ人で頂上へ向かった。雪が消えて土が露出した所もある外輪山をたどる。タイムリミットは12時ということになり、これまでのゆっくりペースから一転してかなり早いペース。この高度で苦しさもひとしおだが、頂上も目の前であり、全力をぶんばって登る。
ついに頂上のシェルターが見えた
| ポポカテペトル山頂にて
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12時のわずか3分前に小さな避難シェルターがある頂上に到達。全員で握手、苦しさが報われる瞬間だ。雲が沸いてきて、眺めはかなり遮られてしまったが、ぼんやりと火口壁や周囲の高原地帯を望むことができた。登頂の喜びもそこそこ、ガスが濃くなる前にと早々に下山を開始。
火口壁からの下降点に着くと、残った2人は既に下山を開始していた。我々は疲れたのと天候も持ちそうなので、しばし大休止してから下降開始。雪が柔らかくアイゼンのダンゴに注意して下る。下降にも特に不安は無かった。下部では慣れてくると尻セードの遊びも交えたりする。だらだらと遊歩道を下り、先に下山した2人が待つトラマカスへ。もうこの高度には慣れたかと思いきや、登頂の疲れもあり頭痛もあいかわらず続き、夜もいまひとつ熟睡できない。
| 年月日 |
1993年1月3〜6日 |
| タイム |
トラマカス(12:50)=ホテル(14:50)市内散策//ホテル(9:45)…チャペルペテック公園=(地下鉄)=
ソカロ…ラテンアメリカタワー=(地下鉄)=ホテル メキシコシティー(19:00)→(DL245)→
ロサンゼルス(21:00) ホリデイイン泊//(11:20)→(KE)→ソウル(17:00/19:00)→成田(21:15)
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午前中はゆっくり休むが、やはり高所に居るのはまだつらさが残る。早く下界に降りて楽になりたいところだが、迎えがなかなか来ない。待ち合わせ時間には無頓着ないわゆるメキシコ時間というやつだ。完全な頂上に達しなかった両氏は、2人だけを残したガイドのやり方への不満を話す。ちゃっかり便乗したドイツ人のことも気にくわない様子。私は登れたからどうでもいいのだが。マリオと別れるとき、頂上の写真を送ってほしい、できれば日本の山に登りたいから案内してほしい、などと頼まれた。でも私はそこまでの自信は無く、申し訳ないことにいずれの約束も果たしていない。
さてメキシコシティに戻って最後の晩餐は、少々うるさいマリアッチとテキーラでメキシコ料理を楽しんだ。翌日(4日)は飛行機の出発が夕方であり日中はフリータイム。1人でチャペルペテック城公園を散策(お勧めのメキシコ博物館は残念ながら月曜のため休館日)。次に地下鉄に乗ってまたソカロを訪れ、撮りそびれた壁画を写真に収めた。銀装飾品などの店が並ぶマデロ通りを見て、最後に高いところが好きなのでラテンアメリカタワー(N$10)の上に登ってから、地下鉄でホテルに戻った。
帰路には次のようなハプニングがあった。ロサンゼルスのホテルで一泊後、空港でチェックインの際に、成田直行便の我々の予約はキャンセルされていることが判明。メキシコの現地ツアー会社にお願いしてあった筈のリコンファームが行われていなかったらしい。ホテル送迎を担当してくれた日本人の現地ツアー会社の方が、大韓航空と交渉してくれ、後に出るソウル経由便に乗せてもらうことができ事なきを得た。そしてこの問題について謝罪を受けることもなくE社は倒産してしまった。
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