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メキシコ ピコ・デ・オリザバ(5699m)登頂 その2
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| 【オリザバ登山基地ピエドラ・グランテへ】 |
| 年月日 |
1999年12月29日(水) |
| タイム |
アピサコ(8:10)=トラチチュカ(10:30/11:10)=ピエドラ・グランテ[4261m](12:54/14:40)
…高度順応[4550m](15:45/16:00)…ピエドラ・グランテ(16:33)
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アピサコから再びマリンチェの姿を見ながら進む。朝の冷え込みで霧が立ちこめる湖と湿地帯を過ぎて、やがて正面にオリザバを望むトラチチュカの町に到着。ポポに比べて急に見える上部斜面には雪もたっぶりある。ブルーと白の無数の三角形の旗が道の上になびいていて、これは村の象徴か。ここで四駆車に乗り換え。荷物の積み替えを待っている間、近くのおばさんが家のトイレを貸してくれた他、オリザバ登頂の写真を見せてくれた。
ピエドラ・グランテ小屋が見えてきた
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頂上には十字架の鉄塔が立っている。スペイン語で部屋に飾ってある写真を説明してくれても理解できないがおそらく家族の写真なのだろう。
四駆車で私は最前部の特等席に座ることになった。若いドライバーだが、悪路も手慣れた様子で難無く登っていく。途中羊飼いの群に会う。ポポ,イスタ,マリンチェ三山の眺めが良い場所で休憩。風も無くポポの噴煙が真上に上がる姿はシティの壁画と同じだ。平坦な台地の向こうに小屋が見えてくるとまもなく4260mピエドラ・グランテ到着。石造りの小屋は板敷きのスペースが3段構造で避難小屋としては大きく立派なものだ。ただしポポのトラマカスの方がずっと立派ではある。各国から訪れたアルピニストで混雑していたが、寝るスペースに困るほどではない。外にもテントが数張り。頂上へアタックしているパーティーの姿を望むことができた。
チキンライスとスープの昼食は美味しく食べられた。その後高所順応のため4550mまで往復。日が傾き雪の稜線上部だけが眩しく輝いている。小屋に戻り、荷物整理,アイゼンの点検,夕食準備と忙しい。寝る時刻が遅くならないよう、Haさんが手際よく用意してくれた日本食のうどんとカレーは食べやすい。女性陣が小食の分、余分にもらって食べ過ぎ気味だ。寝れなくても気にするな、の言葉通り浅い眠りの夜となったが、チンボラソの4800mに比べると楽な感じはした。
| 【必ず登れると信じて頂上へ】 |
| 年月日 |
1999年12月30日(木) |
| タイム |
ピエドラ・グランテ(1:35)…雪渓アイゼン装着(3:30/3:48)…キャンプサイト[4900m]アンザイレン
(5:25/6:00)…ピコ・デ・オリザバ山頂[5699m](10:32/10:50)…キャンプサイト(12:35)
…ピエドラ・グランテ(13:52/15:02)=トラチチュカ(16:30/17:00)=メキシコシティ(20:50)
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0時30分起床。ヘッドランプ頼りの暗闇では昨日より遅めのペースになる。昨日の到達点である平坦地より少し先で雪が現れる。傾斜はさほど無いが雪が堅いのでアイゼンを装着する。沢筋の登りから、部分的
Sarcofago(下山時)
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に岩が露出した雪の斜面をジグザグにルートを取って上がっていく。アイゼンのフラットフィッティングできない(柔らかい人は別かも)傾斜も出てくる。
気温が低く雪も多いせいか、Campsiteの平地まで思いの外時間がかかった。女性のIさんが体調悪く、ここから戻ることになり、クリストバロとマルチンが付き添った。この先はクレバス帯となり、Haリーダーが4人と、別のメキシコガイドが私とMさん,Soさんの3人とアンザイレンすることになった。シットハーネスの使い方がわからない人がいてはHaさんがいらついていた。この辺りはA社の事前案内にも問題あるのではないかと思った。そもそも下山にガイドが2人も付き添わなければならないのも問題だ。
オリザバ頂上への斜面(下山時)
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気を取り直して頂上を目指す。我々のグループはSoさんのペースが落ちるに連れ、Haさんのグループより遅れてくる。このまま離されて我々だけ登れなかったら..との心配が頭をよぎるが、先のグループもペースが落ちてきて、差は同じくらいで進むようになった。明るくなってきてオリザバの影がメキシコの台地に映り、アコンカグアを思い出す。歩いては苦しそうに立ち止まるSoさんに対して、アコンカグアの時を思いだしながら、ペースはゆっくり、深呼吸!眠るな!などと励ました。遠藤さんのようなすごい激をとばすことは私にはできなかったが(メキシコ人ガイドは英語もあまり話せないのでただSoさんに合わせて先頭を歩くだけ)。それにしてもMさんはそれほど高所経験も無さそうなのに全く不調な様子無くすごい。
上部は急斜面のアイスバーンも有って、少々びびりながら登る。高度計の高度があまり上がっていないのが気になるが、ゆっくり近づく雪の斜面の頂点のことだけ考える。Soさんが突然ペースを上げることがあるので、私も息が苦しくなってきた。ついに火口壁に到着。傾斜も緩くなりホッと一息。ここで後から登ってきた1人が追いつく。誰かと思ったらクリストバロだ。苦しそうなSoさんに深〜い呼吸の見本を示して、大声で「頂上はすぐそこだ、イェイー!ゴーゴー!」といった感じで励ましてくれた。クリストバロはIさんと安全な場所まで行って、そこでマルチンにまかせて再び登ってきてくれたのだ。凄いガイドだ。
まもなくあの十字架が見え先行者の待つ頂上に到着。360度メキシコの台地が広がるこの国の最高点だ。皆さんとの堅い握手は忘れられない思い出。ポポもイスタもマリンチェも遠くに見えている。
時間的に遅くなりゆっくりできなかったのは少し心残りだ。
ガイドと頂上にて(中央がクリストバロ)
| オリザバ山頂の噴火口
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下山は全員がザイルに繋がって、雪も緩んでスリップの心配も減りぐんぐん下った。Campsiteの手前でザイルから解放され、各自のペースで下る。小屋まで長い下りにバテてくるが、行動時間12時間強で無事帰着。この日のうちにメキシコシティーに戻らねばならない。登頂の疲れでかなりハードかと思ったが、揺れる四駆内でも熟睡状態で、シティーに着く頃には疲れも多少解消した。
千葉のTさんは、明日3時起きでツアーから別れて早朝便でグアテマラへ行くそうだ。この元気さには脱帽。遅くなったときの為に夕食は幕の内弁当が配られ、Nさんと3人でビールを買ってきてお別れの宴を開いた。Tさんの山歴をお伺いすると、アコンを始めとする代表的な登頂ツアーやハンテングリにも行かれていて、次はワイナポトシを狙っているという。顎髭を伸ばした独特のいでたちながら、社会人になられたお子さんも2人いて比類稀な方だ。
オリザバの標高は登頂ツアーの案内などでは5699mとされているが、現地ガイドがくれた案内図は5611mと記されていた。Campsiteで4900mに合わせた私のプロトレックでは頂上で5545mだった(6000m近いと精度は落ちるかもしれない)。この国の最高峰ゆえ少しでも高くしたいという気持ちで実際より少し高くなっているみたいだ。
今回は9名中7名登頂でき、Haさんもまずまずの成果だったろう。私はSoさんのゆっくりペースに助けられ、彼に何とかあがってもらわねばの思いにも気を取られ、あまり高度の影響を感じることなかった。もちろん標高の違いもあるが、チンボラソの時みたいに歩けなくなり眠ってしまいそうになることが無かったのは、経験を積んだ成果と信じたい。
| 年月日 |
1999年12月31日(金)〜2000年1月2日(日) |
| タイム |
メキシコシティ空港(11:20/13:30)→(AA-1110)→ダラス(16:00/17:00)=マーケットセンター
ホリデイイン(17:15//8:50)=ダラス空港(9:10/11:00)→(AA-061)→成田空港(15:15)
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ミレニアムのメキシコシティは、独立記念塔やソカロなどで盛大なセレモニーが催される。2000年問題による飛行機のスケジュール変更で、残念ながらそれらは楽しめずUSAに飛ぶことになった。日本ではもう2000年を迎えてしまった中継もTVで見る。カミヤさんお勧めのアネージョとテキーラチョコをお土産にメキシコを後にする。
ダラスのホテルで、ツアーを御一緒した皆さんと最後の楽しい会食を済ませ、1時間ごとに繰り返される東から西への盛大なカウントダウン中継、テラスからダウンタウンに花火が上がる瞬間、大声を上げて騒ぐ若者など見て、旅行の余韻を楽しんだ。1月1日の朝、飛行場は人の姿も稀で飛行機はガラガラであったが、2000年問題の影響は何もなく無事帰国となった。
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