アコンカグア(6959m)登頂5
ベースキャンプ生活編2

8 各国の登山パーティー
 我々と同じキッチンテントのお客さんには、まずイタリアからのやや年配の4人パー ティーが、我々が入った翌日から一緒になった。ブルジョワの一家だといううわさ。ゴ ッドファーザーではないが、マフィアとの関係など憶測も飛び出し、何となく近づきに くくあまり話を交わすことはなかった。体調の問題からか、彼らはアタックは断念して 早めに下山していったようだ。対照的だったのは、比較的若い2人組のメキシコ人。食 事の際は陽気に酒を飲み、気軽にお互いの国の山の話を交わした。さすが高地の国だけ あって、短い順応期間で5400mのC1からアタックに成功してしまった。
 C2までの順応からB/Cへ戻った日、私とTさんのテントの隣に、アルゼンチン人 の単独の若い男性がテントを張った。彼(エドワルド)は英語ができ、少し話すことが できた。彼がここに来たのは3回目。しかし過去2回とも登頂していないという。1週 間位の短い日程で高所順応期間は考えずに、地元の地の利で、一かばちかで登りに来る ようだ。登山装備が高価であるため、もし可能なら衣類などの装備を売って欲しいとも 言っていたが、まだアタック前なので譲るわけにはいかない。私たちと同時期にアタッ クしたようだが、アタックから戻った翌日に彼に会うと、結局今回も登頂できなかった と寂しげだった。キープしてたウイスキーを記念に譲った。
 日本人は、われわれより早い期間には数パーティ入っていた模様。うち1つは、岳人 に個人的に広告を出して集まった公募パーティ。個人手配ながら、メンドーサ在住の日 本人の協力により準備を進め、実力が揃っていたこともあって効率よく全員が登頂でき たそうだ。また別に某会社の登山部パーティも入っていたが、期間が短い為か高所順応 がうまく行かず登頂できなかったらしい。
 他に我々と同じ時期に入って登頂を目指した単独の日本の青年がいた。彼とは高所順 応中も時々出会った。何カ月もかけて、ボリビアやペルーなど南米各地をまわっている とのことで、この後またパタゴニア方面に足をのばすそうだ。頂上からマウンテンバイ クで下ろうと、C1までかつぎ上げたのだが、C2へ上がる途中の岩影に車輪の片方が 捨てられていた。MTBが壊れて計画はおじゃんになったものの、私たちと同じ日に彼 も無事登頂を果たした。
 その他の大人数のパーティとしては、スイス隊が国旗を掲げてキャンプ地最上部に、 他のテントから離れた場所に陣取っていた。USAやカナダなどの北米組も目立った。

9 通称「ホテル」までの散歩
 B/Cからモレーン台地上をセロ・ボネットの方角にひと筋の道が延び、その先に大 きな建物(通称ホテル)が建っている。休養日のお昼前に、誘いあわせて7人で出かけ た。散歩というにはやや上下が多い道を30分程歩いて到着。建物にはRefugio と記さ れいて、避難小屋という意味だと思われるが、それにしてはやけに立派すぎる。1階は 広々したロビーと食堂・キッチン。2階はまさしくホテルの雰囲気で、ロック付ドアの あるベッドの個室が並んでいている。見たところ空室が多数ありそうだった。3階は山 小屋らしい大部屋となっている。地階へ行くと水洗トイレやシャワーがあるが、水不足 の為か少なくとも昼間のこの時間は水が出る様子はなかった。
 Tシャツを買うのが目的のひとつであったが、ムーラが着く前だったため品切れ。受 付で売っているジュースコーラの類もB/Cよりむしろ種類が少な目だった。食堂では 、休養日の登山者が、カードゲームやラジカセのCDを楽しんでいる。私たちは1リッ トルの紙パック入りジュースを飲んで休憩した。食堂の壁や天井には、各国の登山隊が 残していったカラフルな旗やワッペン,ステッカーなどが所狭しと貼り付けられている 。日本隊が残した大きな布には、12支や浮世絵などのユニークな図柄に参加メンバー のサインが記されていた。94年の参加メンバーの中に昨年ツアーガイドしてもらった 西村氏の名前を発見。次回は南壁に挑戦するとの記述があり、確か96年春に行くと聞 いたことを思い出したが、成功しただろうか。

10 アルジェンティーナの陽気なパーティー
 ホテルから戻ると、我々がTシャツにありつけなかったことを知ってたかのように、 若い元気なグループが、「ぼくの着ているTシャツはいらないかい」とやってきた。昨 日OさんとIさんのテントの周りにやってきたグループのようだ(Oさんたちはうるさ くてちょっと迷惑だったとのこと)。おそらく荷物はたった今ムーラで上がってきたの だと思われる。
 このTシャツ($10)は、生地は別として懸垂下降をあしらったデザインがなかなか良 かったので、我々日本人のグループはみんな集まってきて、何着も買いあさった。山の 上で良い商売になったことだろう。Centenario(初登頂の1897年から100周年) の記念Tシャツの限定版(?)ということで大変良い記念になった。裏側にはアコンカ グア周辺の地図がプリントされている。100周年ということに関しては、ここベース キャンプで見る限り特に目立った行事が行われている雰囲気はなかった。

11 アタック用日本食の山
 日本から運んできたツアー会社の超大型バックには、アタック用の食事が詰まってい る。休養日にこの荷物を解体して、C1およびC2の各テント用に仕分けする作業を手 伝った。レトルト+α米,インスタントラーメン,ジフィーズといった定番メニューが 中心だが、すし太郎+α米,マーボ春雨など変わり種も。私は、缶詰のゆであずきが山 でこれほどうまいこととは知らなかった。今度自分でも是非持っていこうと思った。
 このアタック食が余り気味で、ベースキャンプ生活も後半になると、本来の現地食に 加えて日本から持参した分もあわせてたいらげることになった。特に朝食は、現地食だ とコンチネンタルなので、もちやジフィーズやカップしるこなどが加わるのはありがた かった。夜は食べ過ぎ状態になりがちだった。

12 危険な山であることを認識
 我々の滞在期間中も、たびたびリトさんや遠藤さんから、高山病の重傷患者が診療所 に運び込まれたと聞いた。そんなときは、リトさんは旧ベースキャンプのヘリポートま で患者を運搬したり治療の手伝いをしに出かけていく。気落ちした表情で"Finished"と 言って戻って来たこともあり、つまり高山病での死者が我々の滞在中も2人ほど出たと いうことだ。
 C1から、重傷患者が10人ぐらいのガイドやポーターや仲間に運びおろされてきた のも見た。「ああいうふうにならないように」と遠藤さん。頂上アタックに出発する予 定日の前日、注意事項として、この山は無理をすると死ぬ山だということを、くどいほ ど説かれた。現に相次ぐ患者を目の当たりにしているだけに、誰でも不安の念を抱いて しまい、やや登頂への意欲を減退させられたことは事実である。安全を最優先として、 しかも可能な限り登頂を目指すという命題に対して、ガイドやツアー会社は、一応この ようなやり方が最善の策だと考えているようだ。

ベースキャンプ近くの氷河舌端部
アイスクライミング練習風景も見物できた

13 氷河見物
 頂上アタックから帰った翌日、最後の滞在日の午後にOさんと氷河見物へ出かけた。 セロ・クエルノから続く氷河のモレーンの間、ホテルとベースキャンプの中間にある谷 間の部分に氷河の舌端部が現れている。モレーン上に無数にある踏み跡を適当に歩いた 後急降下すると、氷の峻塔が無数に立ち並ぶ舌端部に下り着く。何組かのパーティーが 、トップロープで末端の氷の壁に取り付いてアイスクライミングの練習をしている。ト ップロープは氷の壁の裏から容易にまわって回収できる。ベースキャンプでも、頂上ア タック組とは別にアイスハンマーなどを持参したクライミング目的のグループが見受け られ、地元の人には良いゲレンデにもなっている様子。
 午後になると氷の塔の間を濁流が流れだすので、氷河の壁を縫ってあまり奥に入って いくのは危険である。午前中にはFさんが、一人で奥まで入って良い壁を見つけて、ひ っそり練習を楽しんでいたとのこと。その姿を拝見できなかったのは残念。

14 リトさんの友達とバザール
 こちらでは登山装備が高価で、ものも手に入りにくいということで、日本人の装備は 大変な人気。売って欲しいという話が後を絶たなかったが、いよいよ帰る前日ともなる とリトさんも目の色が変わってきた。でも彼は目が肥えていて、Iさんの新しいノース フェースのアルパインパーカー上下やKさんのニコンの交換レンズなど高級品にばかり 目を着けて、さすがに交渉は不成立だった模様。オスカルたちは、テルモスをやたらに 欲しがった。こちらではまず手に入らないらしい。自分のテルモスをおみやげにプレゼ ントした人も多かった。
 私も登山装備が多かったので帰りは身軽にする為に、羽毛シュラフとプラブーツを売 ろうと思った。リトさんに見せると、自分は要らないが友達を呼んでくると言っていな くなった。しばらくするとアルゼンチンの人たちがわんさと自分のテントに押し寄せて きて、その応対に大忙しとなった。スペイン語で質問されると全くわからないが、にわ かに英語で通訳してくれる人も登場した。この英語の分かる人は、テルモスを欲しがっ ていたが、私の670mlのだと頂上まで保たないから、1イットルぐらいの大型のが 欲しいと、これまた贅沢を言っていた。
 夕食の時間までに中国製シュラフ(2つ持っていったうちの古い方)が$40、ゴー グルが$10、そしてリバーサルの撮影を終えた一眼レフ(α303)が予備電池付で $210で売れた。カメラは今一つ私が気に入ってなかったので思わず売ってしまった が、後で"Very Good Price!"とリトさんに言われ、ちょっと安すぎたかと後悔。コフラ ックのプラブーツはメーカー保証期間の5年をかなり過ぎて10年近く経っていること もあって、ここで売ってしまって日本で新規購入できればと思ったが、$70で売れそ うになりながら結局売れずに日本に持ち帰ることになった。今回アコンに登ったプラブ ーツはその後も破損することなく健在である。

 15日ぶりにプエンテ・デル・インカにもどった日、私はリトさんかガウチョかと対 比されるぐらい、顎ひげがすっかり伸び、夕食のアサードと野菜サラダに食らいついた 。メンドーサのレストランではとても食べ切れなかった分厚い牛肉を、うまいうまいと ぺろりと平らげてしまい、体はすっかりアルゼンティーナになったようだった。
(終わり)


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