ペルーアンデス登山日記 その1

2001年岳人に連載された金城さんのペルーアンデス記事を見て、ずっと行きたいと思ってきた。今回、意を決してワスカラン登頂にトライすることにした。本当は個人的に行きたい所だが、未知の国で効率良く登山するために、高い料金を払って日本出発のガイドツアーに参加。通常人が集まらずなかなか催行できないものだが、9名もの参加者があったのは普通でない。今年限定の特別日程で28日間と長めながら、マチュピチュ観光付きで高所順応もたっぷり時間をかけるという触れ込みで、私もこれは良いと飛びついた。約1ヶ月という長期山行はこれまでの最長となり、皆からは会社勤めでよく参加できたものだと言われた。今年は勤続云十年休暇の年だったこともあって何とか会社を休むことができた。こうしてペルー行きが実現したのだが、現実には異常気象の影響が大きく、登頂断念という残念な結果となってしまった。でもそれなりに楽しめたことは多かったし、今後の教訓にするために、いつものように日記形式で旅行記を纏めることにします。書いた分から順次掲載していきます。時間がかかるかもしれませんが、気長に待ってください。また参加メンバーの記載事項にはフィクションが含まれていますので御注意を。

期間 2004年6月26日〜7月23日
ガイド 日本人 早岡(仮名),現地人 マルコ,ロヘル,セサル,バレンティン,他
参加者 チェリー(錯乱坊),北大先生,メキシカン,地主,解説者,鎌倉青年,最年長,
社長夫人,らんぼう(私)  (以上すべて仮名)
参考文献 岳人 2001年9〜12月号・1999年2月号,山と渓谷 2004年4〜5月号・2002年6月号,
地球の歩き方B23,異境に楽しむ山旅(白水社),
ホームページ「ぶなの会2000/2001ペルーアンデス遠征隊報告」,他
装備 プラブーツ,軽登山靴,ピッケル,アイゼン,ハーネス,シュラフ,各種ウエア,他
共同装備 登攀具,ロープ,テント,コンロ,食料,医薬,無線機,等

【ペルー入国とマチュピチュに行きそびれた話】
年月日 2004年6月26日(土)〜28日(月)
タイム 成田空港(15:45)→(CO-006)→ヒューストン(14:15/16:15) →(CO-1107)→リマ(22:40)
ミラフローレス ホテル(0:40//4:05)=空港(4:40〜14:30)=ペンションKANTUTA
(15:00//9:10)=アルマス広場(10:10/10:40)=パチャカマ神殿(11:25/12:45)=レストランセニョールレモン
(13:30/15:05)=天野博物館(15:25/17:00)=ペンションKANTUTA(17:30)

 空港で初めてツアー参加の方々に会う。ハードな登山ツアーにもかかわらず60歳代の参加者が多くて少々驚く。早岡(仮名)ガイドの若さがひときわ目立つ。見覚えある方が1人、すぐには思いだせなかったが、4年前にメキシコのオリサバ登頂ツアーで御一緒した、某地方に広大な山林を所有している地主さんだった。偶然に知った人に会うことがほぼ毎回のようにあるので面白い。オリサバの時に始めて高所を体験し、その後アコンカグア,マッキンリー,マウントクック(登頂断念)など海外登山にはまっているそうだ。今回のツアーは、昨年ワスカラン登頂に成功した鎌倉在住の青年さんの案のよるものだそうだ。メンバーの半分以上は以前のトレッキング等で知り合った顔見知りの仲間であった。さらに青年さんと一緒にワスカランに登ったチェリーさんは、少し前に1人の犠牲者を出したあの日本初チョモランマ公募登山隊に参加していたと聞いて二度驚く。登頂はできなかったものの、8500m以上に達して帰国後1ヶ月もしないで再びペルー遠征というその元気さには敬服だ。
 テロ以降は米国での飛行機乗り継ぎが一苦労で、ヒューストンの出国口は長蛇の列。2時間近くかかってぎりぎりで乗り継ぎ便に飛び乗る。リマの飛行場も到着便のピークを迎えて混雑しており、深夜やっとホテルに到着。仮眠程度で早朝4時にホテルを出て再び空港へ。飛行機でクスコへ向かう予定であったが、最初はチケットが届いていないとかで、10時頃の便まで空港のレストランでビールなど飲みながら待つ。レストランはろくな所でなく、高所へ向かう為アルコールもなるべくやめるよう早岡さんに釘をさされた。その後、クスコで10年ぶりの大雪の為、朝から全便が欠航していると知らされる。足留め客でごったがえす出発口で、午後の再開を願ってひたすら寒さに耐えて寝て待つ。この季節は海流の影響でとても寒い。
 皆の願いも空しく今日の便は全てキャンセルになり、明日の便も予約で満席。最初のメインイベントであったマチュピチュ観光は中止となってしまった。
リマのペンション近くにある遊園地 大型スーパーも在って買い物に便利
急遽リマで日本人の経営するペンションに泊まることになった。地球の歩き方に書かれているお土産店に併設されたペンションで、民芸品の山に囲まれながら二晩を過ごすことになった。着いたときはずいぶん辺ぴな所という印象だったが、近くに大型スーパーや遊園地があって、リマの中では便利な高級住宅地らしい。スーパーには新鮮な魚貝類や野菜の種類も豊富で、ワインも少しばかり仕入れる。夕食は手作りの刺身、天ぷら、うどんなど日本食をふんだんに味わうことができた。日本から来たばかりでちょっと拍子抜けであったが、機内食だけでうんざりしてた方々には好評。アルコールも一時解禁となり、何かと疲れていた一行も元気が出てきて話が弾む。ペンションの奥さんがビクーニャの毛皮でできたマフラーなど特別限定品と言って見せてくれた。紅一点の社長夫人さんはさっそくおみやげのキープをお願いしている。私は年齢が近いということで地主さんと同室になる。この人は度忘れするので時々何回も同じ事を説明しなければならないのと、夜寝言のようにうめき声を上げるのが欠点であったが、のんびりした方なのであまり気がねすることなく、海外登山経験の話など伺いながら楽しく御一緒させていただくことができた。
 翌日、普通はあまり行かないリマ観光で1日過ごす。クスコ・マチュピチュの世界遺産見学と、高所順応を同時に行えるはずが、代わりに標高ゼロで重苦しい曇り空のもと、旧市街と遺跡・博物館を巡ることになった。観光ガイドが苦手の早岡さんには苦痛の一日だった。カテドラル前の広場に立つとメキシコシティを思い出す。中南米に共通した街の中心の景観なのだ。インカ以前にも多くの文明があったこの国は、いたる所が砂山の遺跡という感じで、観光地の雰囲気がない素顔の町並みに触れるのはまんざらでもない。ランチにはセビッチェなどのペルー料理を賞味、あっさりしていてなかなか美味であった。野菜とジャガイモ類も有機栽培で日本のより良質である。ペルーの代表的ビール銘柄は3種類。ピルセン,クリスタル,クスケーニャで、それぞれ微妙に違う味わいながらいずれもグッド!

【4000mの峠越えで早くも高度障害】
年月日 2004年6月29日(火)
タイム リマ(7:40)=バランカ[昼食](11:00/12:40)=コノコーチャ峠(16:10/16:30)=ワラス(17:30)
=カルアス[ホテル エル・アブエロ](18:08)

 昨夜は日本を2日遅れで出発したメキシカン氏が到着し今日から合流。メキシコに在住経験があってスペイン語が旨く、何かあるとこの人のおかげで事情がわかって大変助かった。ワラスの現地手配会社から、田部井さんをワスカランに案内したというペルー人の中年女性ガイドが迎えにきてくれ、日本製のマイクロバスに乗ってようやく山に向かう。今はツアー会社支配人でガイドはあまりやっていないそうだ。細身でそれほど凄いクライマーに見えないがお父さんは結構有名なのだそうだ。早岡さんと昨年来た2人は、彼女と再開を喜びあっている。
 海沿いのパンアメリカンハイウエイを北上、広大な大地の中を走る。バランカという結構大きな町で早めの昼食。迷いながらいろんなメニューを頼み、食べきれない量の肉に悲鳴を上げる。でも地鶏はなかなかいける。ようやく海沿いから山へ向かう道に入る。休憩場所のお店にはフルーツが豊富、なかでもペンションでもご馳走になったチリモヤは美味。高度を上げていくと、雲が切れて青空に囲の山々が顔を出してきて、やはり山岳地帯は乾季で天気が良いと期待する。しかし4050mのコノコーチャ峠まで来るとまた曇ってしまい時折雨粒が落ちてきて山々もあまり良く見えない。高度順化に付近を散歩する案は中止、日も暮れるころやっとワラスの先のカルアスという町に到着。
カルアスの中心部にある広場 コパなどのブランカ山群を望む小じんまりした町
 クスコへ行けなかったので、いきなり4000mを越えて2800mに宿泊は結構きつい。自覚症状がなくてもパルオキシメーターの数値はかなり低い。北大先生は高所経験も多いのだが下痢がひどく、同室のチェリーさんもチョモランマの影響からか2人して寝込んでしまった。私もお腹の調子がよろしくない。早岡さんから、高度対策は「暖かくする」「ゆっくり動く」「薬に注意」とのアドバイス。私の特効薬「正露丸」も疑問視されたが、結局飲んでいいと言われ、見かけによらず繊細なことにこだわる人だ。夕食はホテルでトゥルーチャ(マス)料理、付近の山地でよく養殖されているという。お勧めを受けてデザートにチリモヤのアイスを頼んだ。明日からの長いトレッキングに備えて準備も忙しい。

【ワスカランを望みヤンガヌコ谷からトレッキング開始】
年月日 2004年6月30日(水)
天気 晴れ一時雨
タイム カルアス(9:20)=ユンガイ(9:40)=国立公園ゲート(10:42/10:55)=ヤンガヌコ湖(11:41/13:33)
=登山口(13:54/13:58)…チョピカルキベースキャンプ(15:07)…モレーンの上(15:40/16:18)…登山口
(17:22/17:27)=ヤンガヌコ湖(17:50)

 ブランカ山群で代表的なウニオン峠越えのトレッキングに向かう。通常6日間のところ、我々は2日間アルパマヨのオプションを追加して8日間山に入る計画。快晴で周囲に白く輝く峰々が垣間見えている。朝食後、素朴な山の町を散歩がてら朝市を見に行く。近くの村から運ばれた豊富な農産物や日用品など露店が多数並び、山高帽に民族衣装の女性がカラフルな風呂敷を背負って闊歩し、活気に満ちている。建物の壁のペインティングが派手で、周囲の山の景観と何とも不釣合いなのが面白い。この辺の車は大多数がカローラなどの日本製ワゴン車で、乗り合い用タクシーとしてよほど気に入られているらしい。
ワスカラン北峰(左)、南峰(右)
ユンガイからバスで高度を上げていく
ワスカラン北壁
ヤンガヌコ湖から見上げる
 隣のマンコスという町がワスカランの登山口で、双子の山頂を仰ぎ見ることができる。その先かつて大雪崩災害のあったユンガイの町から街道をはずれてマイクロバスで砂利道を登っていく。ワスカラン,コパ,ワンドイの迫力の山を眺めていく。ヒマラヤ的な景観に楽なアプローチで接することができるのが魅力だ。ワンドイの向こう側からは雲が湧き出て、安定した晴天でもなさそうなのが気になる。国立公園の入口で民族衣装のお姉さんからゆでトウモロコシを買う。大粒で薄味、甘くないのが自然な感じだ。氷河が刻んだU字谷のすごい岩壁、その上にワスカラン北壁が覗く。大峡谷を上がりきると2つのヤンガヌコ湖に着く。見上げる北壁は見事。氷河地形ではなぜか氷河湖が必ず2個か3個以上並んで存在するそうだ。奥の方の湖畔が標高3900mの本日のキャンプ地。
 トレッキングスタイルの広いキッチンテントに、コックでガイド見習い中のヨシーガが、野菜・フルーツふんだんのヘルシーランチを準備してくれた。午後は、これからお世話になるペルー人ガイドのマルコ,ロヘルとともにチョピカルキベースキャンプまで足慣らしのトレッキングへ。最年長のまとめ役マルコは見た所30歳代、英語も話せるので植物の名前など教えてもらいながら歩く。付近いたる所で見られるルピナス(マメ類)の青い群落をはじめ、ニガナやリンドウやトラノオの類、サボテン、赤い釣鐘形のカンパニージャ、福寿草に似て地べたに咲く花など、種類が多い。モレーンの上、標高4410mまで登ると、これまでと反対側からのワスカランが目の前だ。残念ながら雲が出て全貌は望めない。氷河にはクレバスが発達して簡単には登れないように見える。でもこれから時間をかけて高所順応すれば、全員十分登れるということ。次第に雲が切れてきて、帰路には前方に屏風のようなチャクララフが雲の中から姿を現した。雲が切れてくる度に立ち止まってデジカメで写し、ついに全体の姿を捉えた。なかなか見ごたえある双耳峰である。左側の稜線は、登頂予定のピスコに続いている。まずまず山を眺められて満足だったが、ベストシーズンであるこの時期は普通はもっとバッチリ見えるはずだとか。キャンプに戻るとまもなく夕食、肉料理が中心で羊肉スープと鶏とライス。標高は富士山頂ぐらいになり、順応しきれていないので寝付きが悪い。(地図はその2に掲載)
ワスカランを反対側から望む
チョピカルキのベースキャンプ付近まで足慣らし
屏風のようなチャクララフ
夕方、雲の中からやっと顔を出してくれた


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