メキシコ ポポカテペトル(5452m)登頂 その1

 ポポカテペトルはメキシコ第二の高峰、富士山形の独立した火山です。アズデク語で「煙を吐く山」を意味します。スペイン人征服前に隆盛を誇ったアステカ文明における、太陽と火にちなんだ神話はこの山にちなんだものでは、と言う人もいます。土地の人にポポという名で親しまれ、メキシコ最高峰オリザバ(5699m)に比べはるかに有名です。この山の北方には、「眠れる女」という意味の第三の高峰イスタシワトル(5286m)があります。天気が良いとシティから望むことができる二つの山の形から、イスタを女性の顔に、ポポを乳房に見立てたということです。1996年頃から火山活動が活発化して、現在登山不可ですが、早くおさまってほしいものです。
 このようにメキシコにも5000m級の高い山があり、比較的短期間に登れるので'92年末のE社ツアーに申し込みました。人数が少なかったので、添乗員同行無しの個人手配方式で、集まった3名で行くことになりました。

期間 1992年12月29日〜1993年1月6日
ガイド シティ:高木  登山:マリオ,他1名
参加者 男性3名 N,M,私
装備 プラブーツ,ピッケル,アイゼン,シュラフ,冬山用ウエア,etc.

年月日 1992年12月29日(火)
タイム 成田空港(15:00)→(KE-002)→ロサンゼルス(7:20/10:30) →(DL1183)→メキシコシティ(15:40/16:20)
=ホテルプラザフロレンシア(16:50)

 初めて米国の地に降り立つことになったロサンゼルスであるが、入国審査の長蛇の列にうんざり。とまどいながら国内線ターミナルへシャトルバスで移動し、ビールで一服するともう乗継ぎ便の時間だ。メキシコ路線は、このときは国内線扱いでアルコールが有料。でも何ドルか払うとアルコールフリーになることがわかり、つい飲み過ぎでしまう。
 メキシコシティーのベニートファレス国際空港にて、自分でボタンを押して緑が点灯するとOKだが、赤が点灯すると荷物検査を受けるという、奇妙な税関を通過すると、現地の日本人ツアーガイド(登山ガイドではない)高木さんの出迎えを受ける。もともとJTBの添乗員だったがフリーになってメキシコへ来たそうだ。ホテルは市の繁華街に近いプラザフロレンシア。シティはオリンピックを機会に地下鉄や道路が整備され近代的な都市である。しかし標高2200mの盆地にあり、排気ガスによるスモッグが深刻で空気がひどくよどんでいる。山もなかなか見えない。さらにメキシコ地震の後遺症で、いまだに崩壊した建物が放置されているし、あまり魅力的な都市だとはいえない。

【太陽の国の雪山を見る】
年月日 1992年12月30日(水)
タイム ホテル(9:20)=買いだし(9:35/10:10)=アメカメカ=コルテス峠(11:50/12:10)
=トラマカス[3900m](12:30/14:30)=アメカメカ(15:30/15:50)=ホテル(16:50) 街の散歩(〜18:30)

アメカメカの町よりイスタシワトルを望む
 スーパーマーケットに寄ってもらい行動食や飲み物など買いだし。両替は1US$=3000ペソであるが、近々行われるデノミの準備が進み、1/1000のN$(ニューペソ)との値札の併記が見られる。そして高所順応のため車でポポの登山口であるトラマカスへ向かう。車が信号で止まるたびに、子供が物売りや窓掃除させてくれと寄ってくる。市街を抜けると煉瓦造りの小さな家が並び、人々の生活は貧困さが漂っている感じ。アメカメカという舌を噛みそうな名前の町に来ると、雪を抱いたポポとイスタシワトルを近くに望むことができる。
 ここからほこりっぽい未舗装道で高度を上げていき、人物像が刻まれた石碑があるコルテス峠で休憩。シティのスモッグとはうって変わって青空から太陽が照りつける。もっこり盛り上がりモンブランを思わせるポポが大きい。複数のピークを持つイスタシワトルへ向かう道がここで別れる。広々した草原帯が隣の標高の低い火山(名前は不明)へ続き雄大な景観。遠くマリンチェ(4461m)とメキシコ最高峰オリザバ(5699m)も望め、なかなか感動ものであった。
 さらに車道終点のトラマカスへ。石造りの立派な山小屋がある。既に富士山頂より高い所である。高度障害はそれほど感じない。ゆっくり付近を散歩してまわった後、ランチタイムとなる。高木さんの奥さん手作りの日本食弁当は大変美味。カルフォルニア米をはじめ日本食材料は結構手に入る所だそうだ。天気が良く暖かいこともあり、シティからピクニックに来ている人も結構多い。もともと高所に住む人にとっては、日本で富士山五合目に来るようなものだ。同じルートをシティに戻る。夕食まで3人でホテル周辺を散歩した。この国は道路では車優先で、日本と違って横断歩道が青信号でも車が止まらずに突っ込んでくるので要注意。狭いアーケード内に銀の装飾品や手工芸品を売る店がたくさん並んでいる。
コルテス峠から見るポポカテペトル
コルテス峠からイスタシワトル

【観光で息抜きした後、高所滞在へ】
年月日 1992年12月31日(木)
タイム ホテル(9:00)=メキシコシティ市内観光=テオティワカンピラミッド(〜15:30)
=アメカメカ=トラマカス小屋(17:30)

メキシコシティの歴史的中心、ソカロ広場
 今晩からトラマカス小屋滞在となる。その前に市内観光とテオティワカンのピラミッド遺跡見学が予定に組まれていた。メキシコシティーではソカロ広場周辺が最大の見どころ。
テオティワカン遺跡にて
14世紀アステカ文明時代から現在まで、市の政治宗教祭りの中心になっている場所である。広場の東にある国立宮殿内にメキシコの歴史を描いた壁画がある。そのうちの一つ、アステカ人の生活ぶりをあらわしたものには、遠方に冠雪したポポとイスタが描かれている。
 次に郊外の古代遺跡、テオティワカンへ。太陽のピラミッドのてっぺんへ登るとちょっとした山登りだ。考古学に詳しい人ならこんなメキシコの遺跡巡りはこたえられないだろうが、私では物見遊山の域を出ない。観光地ならではの露店が並び、土産物の販売攻撃には閉口した。付近に育っているサボテンの仲間がテキーラの原料だとか。
 しばし観光気分に浸った後、昨日と同じようにトラマカスへ向かう。現地登山ガイドのマリオの紹介を受け、高木さんは我々と一旦別れて下山。マリオは20代位の若いガイドだ。高校の英語の教師とのことで、必要なことは英語で会話することができた。彼の教え子を1人助手として連れてきていた。トラマカス小屋は水洗トイレと簡易ベッドがあり、スペースは広々している。米国などから登山者数パーティーが泊まっていた。食事はマリオ達が作ってくれる。今晩はスパゲッティで、食欲もありたくさん頂く。

 続きを見る 

世界の山旅のメニューに戻る
トップメニューに戻る