メキシコ ピコ・デ・オリザバ(5699m)登頂 その1

 今回年末年始はニュージーランド方面を狙っていましたが、航空機やガイド確保がうまくいかず、他の登頂ツアーを探してA社主催のオリザバに行き着きました。以前メキシコを訪れてポポカテペトルに登った時に見た、メキシコ最高峰オリザバの姿は、ポポよりも険しく印象に残っていました。メキシコシティーはスモッグがひどくて少し悪い印象がありましたが、再訪は懐かしくどう変わっているかも楽しみです。
 トレッキングに比べて登頂ツアーは参加者が少ないのが常ですが、今回は思ったより多かったのです。案の定、私と同じように当初は別の山を希望しながら催行されず、こっちに変更したという方が結構いました。この時期メキシコは天候待ちの必要があまり無いという好条件ですが、8日間という短期間で5600mまで到達するのですから、過去のツアーに比べてもハードなスケジュールでした。

期間 1999年12月26日〜2000年1月2日
ガイド ツアーリーダー:Ha 現地登山:クリストバロ,マルチン,他1名 シティ:カミヤ
参加者 I夫妻,Si夫妻,M,So,N,T,私
装備 軽登山靴,プラブーツ,ピッケル,アイゼン,ハーネス,シュラフ,冬山用ウエア,etc.

年月日 1999年12月26日(日)
タイム 成田空港(19:00)→(AA-060)→ダラス(16:00/19:00)→(AA-403)→メキシコシティ(21:40/22:45)
=ホテル・プラザフロレンシア(23:00)

 空港に今回のメンバーが揃う。群馬県のSi夫妻という名前は聞き覚えがあったが、WASTERのYさんのレポートによく登場する岳想会リーダー御夫妻で、私も一度上州武尊山スキーの際、山頂でお会いしている方であった。お互いゴーグルをしていたので素顔は知らなかったわけだ。チンボラソを申し込んだが人が集まらずオリザバにしたそうだ。
 ダラスへの長いフライトは、各座席にチャンネルを選べる液晶ディスプレイが設置された新鋭機で、日本語吹き替え映画も多く楽しめるようになり、アルコールのおかげで、時差もさほど感じずダラス空港に下りる。トランジットの為、あまり広くない部屋に閉じこめられ、売店もクローズ。Siさんと山の話をして過ごす。ご多分にもれず彼もアルコール好きだ。
 メキシコシティーでは、ツーリストカード記入に少々手惑うが、前と同じボタン押し方式の税関はスムーズに通過。現地ツアー会社のカミヤさんという女性に迎えられる。バスでホテルへ向かう途中、チップや食べ物や水の注意など念心に日本語で説明頂く。日系人の顔だちだが、日本語は外国人のもので少し変だ。このところシティは冷え込みが厳しく山の方も寒かったが、今後気温が上がってくるだろうとも。ホテルはポポの時と同じ。同室は今回一番若いNさん。キリマンジャロに登頂していて、今回はアコンカグア希望だったが、どのツアーも満席だったとのこと。個人で行く自信はちょっと無いという。

【懐かしのメキシコシティ】
年月日 1999年12月27日(月)
タイム ホテル(10:00)…(散歩)…ソカロ(11:50)=(タクシー)=ホテル(12:50)…ランチ(13:30/14:30)
…ホテル(15:27)=アピサコ ホテル・デルアンジェル(17:45)

メキシコシティ繁華街のゾナロッサ
 到着早々の高所順応はきついということで、今日は午後にアピサコへ移動するだけの休養日だ。メキシコ初めての人など希望者は午前中テオティワカンへOP観光へ。私は朝のんびりしてから、1人で市内の散策に出かけた。町の要所には多くの警官の姿が物々しいが、旅行者にとっては安心感があり、昼間なら不安無く歩ける。FWのタクシーとバスが無数に走りまくる。ほとんどが緑と白のストライプカラー、一斉に並んで走るとまるでデモンストレーションだ。
 ゾナロッサの路地に入っていくと、日本で言えば銀座といったところで、華やいだカフェテラスや高級店が並ぶ。7年前に来たときに見た、地震の後遺症などの暗いイメージはもう無い。都市としてはほぼ復興を終えたようだ。通りを歩いていると、靴みがき屋とタクシーの客待ちに何度も呼び止められる。それを断りながら、革命記念塔〜国立芸術院〜ラテンアメリカタワー〜ソカロと歩くと、昔の記憶が蘇ってくる。ソカロへ向かうマデロ通りは、石造りの金銀宝石店が並ぶ。ペンダントで1000ペソ前後だ。どこから集まるのか人通りも非常に多い。コイン専門店にて、装飾用なのか日本の5円玉が4ペソで売られていた。ソカロ広場では鉄柱の櫓が組まれミレニアムの準備も進んでいた。
 1US$=19.3N$(ペソ)が町の相場(ホテルは19.5でちょっと悪い)。前に来たときはデノミ前であったが、換算するとN$は1/6以下に価値が下がったことになり、メキシコ人の身になってみると大変なことだ。前回は地下鉄に乗ったが、今度はソカラから緑と白のタクシーを拾ってホテルへ戻った。後でホテルに
アピサコ付近から望むラ・マリンチェ
Don't take street taxiと書いてあるよとNさんに言われた。昼間でもあり、町の人も気軽に利用していたので、危ない感じは無く料金も適切だったのだが。
 観光の人達が戻ってから、近くの日本食レストラン「東京」で昼食。味はともかく、種類と量が豊富で腹一杯。懐かしのコロナビールにもありつけた。メキシコ人にも人気あり、若い家族はお寿司とコーラのメニュー、ランチセットは40N$くらいで食べられお手頃価格だ。迎えの車は、メキシコ待ち合わせ時間の通り30分程遅れて2台のワゴンが迎えに来た。登山ガイドのクリストバロとマルチンが紹介される。チーフのクリストバロは経験豊富な超ベテランで、Siさんが前回イスタに登ったときも彼がガイドしてくれたそうだ。
 ポポ方面へ向かうと、高速道路が整備されアメカメカへの分岐はすくに過ぎて3000mの峠を越える。休憩時にミカン売りがサイス・パー・キロと言って、意味が判ったので嬉しくなる。イスタとポポが見えてくる。ポポに雪が無いのにはびっくり。Texmelucanとかいう町で高速道路を下りて、右にマリンチェを見ながら走る。上部に岩が丸く盛り上がった美しい独立峰、もちろんこちらは雪は無い。
 アピサコのホテルは町の中心から少し外れた場所だ。少し外をぶらつくとコロナの看板の小さな店が目に入り、早速セルベッサを買った。若い女の子が出てきて英語は全く通じなかった。夕食は豆ソースのメキシコ風肉料理、ちょっと癖があり毎日だと飽きそうだ。ボヘミアンビールにテキーラ(細長いグラスでトマトと唐辛子の味がする赤い色のジュースと一緒に飲む)で話もはずんだ。

【マリンチェへハードな順応登山】
年月日 1999年12月28日(火)
タイム ホテル(8:05)=車道ゲート[3000m](8:45/8:54)…稜線(11:40/12:30)…ラ・マリンチェ頂上[4461m]
(13:10/13:35)…稜線(13:55/14:15)…ゲート(16:02/16:52)=アピサコ ホテル(17:30)

サボテン類の花とマリンチェ
 天候は良好。私はメキシコへ来て以来なぜか熟睡できず(テキーラのせい?)、体調など気にしながらパン・コーヒーと卵料理の朝食。メキシコではカフェは本場で美味しい、ただレッチェを入れる習慣無いのかここには置いてなかった。紅茶はハーブティーなどのティーバッグ中心で、コーヒーが飲めない人は損だ。昨日と同じ車で出発。テキーラの原料というサボテンランが栽培された畑を見て、マリンチェへの林道に入り松林を縫って登っていき、標高3000mのゲートに到着。
 軽く準備体操の後、クリストバロを先頭に登山開始。ヤナギランに似たピンクからコン色の花が目を楽しませてくれる。3300mまで林道沿いに歩き登山道入口で1ピッチ。車が入れたら楽なのだが自然保護の為だろうか。気になるのはゴミがやたら捨ててあること。マナーの悪さは日本の比ではない。
 単調な針葉樹林の登りが続き、正面に岩山(頂上手前の岩峰)を垣間見ると、赤や黄色の日本では見られない高山植物(葉はサボテンの仲間みたい)が咲いている。3800mくらいで森林限界を越え、雲一つ無い空と、火口壁の名残りが見られる頂上と、右手に宝剣岳に似た?岩山。標高さえなければピクニック気分だ。でも高度の影響でそろそろ遅れる人がでてきた。
 草原状の急登はつらく高度の影響をはっきり感じたが、約4200mで稜線に出るとポポ,イスタ,真っ白なオリザバが良く見えて元気になる。遅れている二名を待って大休止。雪がオリサバにあるのにポポに無いのは噴火のせい、それとも気候の差だろうか。下界を眺めると、平らな台地に大小同じようなドーム状の火山が点々と見られる。隣の岩峰もマリンチェもその火山群の一つらしい。隣の岩峰に向けては、稜線に踏み跡がはっきり続いているのが見える。
 ほぼ明日の宿泊高度のこの場所にI(夫)さんは残り、あとのメンバーは火山礫の道を頂上へ。頂上直下に少し岩場があるが、クリストバロ,Mさん,私の順で思ったよりあっけなく着いた。「ちょっときた」などと言って我々のメンバーは続々到着。富士山のように台地に突出したピークで、周囲はくっきり晴れ渡り爽快そのもの。ガイド陣といっしょに記念撮影。大阪の女性Mさんは出発からクリストバロの後にピッタリ着いてペース乱れず、見かけによらない体力は驚きだ。同じ関西組の男性で体格の良いSoさんは、マイペースでゆっくり。他の人が頂上を後にする頃やっと到着。ここマリンチェには、メキシコファミリーなど他に数パーティーが登っていた。
マリンチェからオリザバを望む
噴煙上げるポポ(左)とイスタ(右)
 下山は同じ道でだらだらと長い。私は途中、飲まなかった缶コーラがザック内で破裂するトラブルに見舞われ、早くこのベトベトから解放されたい一心だった。そもそも高所に炭酸飲料は要注意だ。クリストバロがゴミを拾っているのを見て、Mさんがゴミ拾いを始め、やがて全員ビニール袋を出したりして本格的な清掃登山みたいになってしまった。中腹では、キャンプやハイキングに来た人を多く見かけた。マラソントレーニングしている人も。この日本人隊の行動は、啓蒙活動にもなっただろうか。
 ゲートに着いてクリストバロからグラシアスの言葉と共にビールを頂く。ところでHaツアーリーダーの姿が見えない。林道に出たところでは見かけたのだが、まだゴミを集めているのかと冗談を言っていると、やがてパウリンと二人ゴミ集めしているうちに道を間違えてしまったと汗だくで到着。下部は林道と山道が入り組んで確かに分かりにくく、他の人はクリストバロの後をついてきて事なきを得た。
 ホテルに戻り、Iさんが水を買いに行きたいというので、N,Tさんと一緒に昨日の若い女の子の店に行くと、今日は閉まっていた。残念。他に付近には、カフェ,酒場,日用品だか何を売ってるのか判らない店くらいしか無く、ガソリンスタンドで缶ビールだけが手に入った。もっと町の中心部なら良かったのだが。第一関門を突破して安心したというよりは、高度差1500m近い日帰りハードコースの疲れを早く癒して、明日からの本番の為にアルコールも控えめにという雰囲気になってきた。

 続きを見る 

世界の山旅のメニューに戻る
トップメニューに戻る