南アルプス深南部 中ノ尾根山〜池口岳〜光岳
【月日】 2000年11月23日(木)〜26日(日)
【メンバ】 Oさん,Kさん,私
【装備】 テント(夏仕様),シュラフ,炊事具食料,水Max4L,スパッツ,アイゼン
【参考】 アルペンガイド「富士山周辺、駿遠の山」,1/50000地形図 井川/満島,エアリアマップ塩見・
      赤石・聖,FYAMATRK中部南1774,3022,FYAMAALPバリエーションハイキング中部177,他

年月日 2000年11月23日(祝)
天気 晴れ
タイム 豊橋(9:05)=水窪(10:26/10:30)=(タクシー)=白倉川ゲート(11:06/11:20)…白倉川橋
(14:17/14:28)…登山口/避難小屋(15:00)

 Kさんの提案で深南部の池口岳を3日間で目指すことになった。5月の笈ヶ岳縦走のメンバーで、あのときと同じ様に長い林道歩きからのスタートだ。風も弱く晩秋のやわらかい日差しが暖かい。重荷の林道歩きも、紅葉から冬枯れへ移り行く木々と渓谷を楽しんだり、山や会の仲間の話をしたりで退屈しない。途中で同じ電車で来た中高年4人組に抜かれる。彼らも我々と同じ行動予定のようだ。途中二箇所、朝日山への登山道を示す標識あり。正面に丸い黒沢山のピークが見えてくる。中ノ尾根山から近そうに見えるが、深南部でも特に藪が深いと言われる山だ。林道脇には数ヶ所営林署小屋があり、常時使用されている様子であった。
 アルペンガイドに記載の三又山への登山口への林道は相当荒れていた。道が良さそうな中ノ尾根山の登山道を行くことにする。今回私は状況によって4連休をフルに使って、池口岳からさらに光岳まで目指したいと考えていたので、この日に稜線まで上がりたいと思っていた。でも出発時刻が遅くて、林道歩きにも予想以上に長く時間がかかりとても無理。深南部のアプローチはそう甘くない。
2214mピークを望む広場に幕営 避難小屋のそばの展望の良い場所
 登山口(標識有り)には新しい避難小屋有り。林道沿いに水場もある。先着の4人組は小屋泊まりで、中のスペ−スはあまり無いので、我々は近くの広場にテントを張った。中ノ尾根山手前の2214mピークの急峻な姿や300名山の熊伏山など眺めの良い場所だ。小屋の前では焚き火を起こしていて、一緒にどうぞと言われたが、我々もテント内で話し込んでいるうちにそろそろ寝ようという時間になった。

年月日 2000年11月24日(金)
天気 晴れ
タイム 登山口(5:50)…分岐(2214mP往復)(8:10/8:40)…中ノ尾根山(9:08/9:22)…三又山(10:19/10:28)
…鶏冠山南峰(12:18/12:53)…鶏冠山北峰(13:30/13:53)…笹ノ平(14:10)

中ノ尾根山へ向かう稜線 まさに深南部らしい雰囲気が感じられる
 薄暗いうちにヘッドランプをつけて出発。道は整備され迷う心配は無い。登るにつれ空木岳など中アと御岳と恵那山が見えてくる。右手に落ち込むガレ場の上を通過すると、標識のあるところが2214mピーク方面の分岐。荷物をデポしてピークへ向かうと、こちらはササの茂った藪道だ。ピークは眺めが良いと言うほどでは無いが、樹木の間から不動岳,黒法師,信濃俣,大無間などが望める。デポ地点に戻る際、鹿道が交錯していて迷ってしまい、しばし藪を漕いで荷物を探す。今まで良い道だったので少し気が緩んでいたようだ。
 中ノ尾根山への平らな稜線は、笹の草原と立ち枯れとコメツガの森のかもし出す雰囲気が黒法師の付近にそっくりで、またあの深南部に来たんだと実感。中ノ尾根山頂は樹木に覆われ展望無く、これも黒法師と同じ。山頂から鞍部への下りは、鹿道が交錯してわかりにくく、いよいよ深南部本来の踏跡になる。こういう所はテープ目印が頼りになる。次のヨモギ沢の頭へは岩場の右手を巻き気味に登っていく。目指す池口岳の南峰は平らで樹木に覆われ、北峰はガレて迫力があって対照的だ。
池口岳(左)を目指して進む 光岳(右)への稜線、中央に聖岳が覗いている
その先に光,聖,赤石や仙丈の姿を確認、印象的な双耳峰の信濃俣の奥に富士が覗いている。
 三又山は草原状で気分良い。眺めも木曽駒から北ア方面まで広がる。この先しばらくは、比較的平坦な原生林の道。行ってみたい大無間〜朝日岳の稜線も見える。鶏冠山の手前には岩峰が行手を阻んでいて、右手を少し巻いて再び尾根に這い上がり、尾根上の心もとない踏跡をたどる。アルペンガイドは長野県側を巻くと記しているが、そんなルートは無さそうだった。南峰の下りも急な難所。前半は岩稜の右側のザレ斜面をジグザグに下降、鶏冠岩の鞍部を右に入り、後半は急な稜線を樹木を頼りに下っていく。
 鶏冠山は南峰北峰とも展望には恵まれない。北峰から笹ノ平への下りもルート取りが難しいとされる。ここはKさんが磁石をあわせてまっすぐ下っていくと、平らになったところでピッタリ踏み跡に出た。4人組は稜線に近い所ですでに幕営を済ませていた。池口岳まで行く気力はすでに無い。風を避けられる稜線脇の窪地(鹿のヌタ場)が幕営適地とされるが、そこはぬかるみ状態。笹原でなるべく平坦な場所を選んで幕営した。ここは深南部には珍しく水場が近い。ごみも全く無い鶏冠山の天然水、秘境笹ノ平で大無間など眺めながらの水割りの味わいは、絶対平地では得られないものだ。

年月日 2000年11月25日(土)
天気 晴れのち曇り
タイム 笹ノ平(5:53)…池口岳南峰(7:24/7:38)…池口岳北峰(8:13/8:40)…池口分岐(8:58)…鹿ノ平(荷デポ)
(9:27/9:38)…加加森山(10:30/10:42)…光岳(12:33/13:00)…鹿ノ平(16:00)

 夏テントに3シーズンシュラフで寒さを心配したが、何とか耐えることができた。ただ私のテントは傾斜があって寝心地は非常に悪かった。しばらくは鹿道が交錯した平坦な尾根。時折泣き声を耳にする程度で鹿の姿はあまり見かけない。夏場はこの辺は鹿の天国になっているんだろう。池口岳への登りが始まると、笹原から一転して苔むした樹林帯になる。踏み跡もほとんど無い原生の山の中にいる雰囲気が素晴らしい所だ。登りきると稜線の窪地状のところで登山道に合流。この分岐は逆コースだとわかりにくい。
 池口岳頂上は落ち着いた雰囲気だが、南峰,北峰ともに展望には恵まれず物足りない感じがした。深南部の山全体を楽しむことにこそ価値のある山だ。天候も今日は問題無さそうなので、私は他の二人と別れて光岳をピストンすることにした。はじめ右に踏跡があったので分岐を間違えたが、正しくはもっと下ったところで、明確な標識がある。急降下してシャクナゲのヤセ尾根をたどると、平らな尾根に踏み跡が続いている。
頂上が平坦な加加森山を望む 鹿ノ平の上部にある眺めの良い草原にて
例によって踏跡は交錯気味でテープ目印からなるべく外れないように行く。最低鞍部付近は草原状で幕営適地(水場はかなり遠いらしい)。ここから空身でピストンすることにした。
 光岳まで到達できるようハイペースで進む。時々南ア方面の眺めが良い草原を通過する。2312m付近は広い平坦地が大倒木帯となっていて、テープの誘導がなければ途方に暮れるところ。私も先を焦って少しルートをはずして苦労した。慎重にテープのルート通りに通過すれば、案外楽に通過できるようになっていた(帰りに判明)。真っ平な森の中に加加森山頂上がある。三角点まで踏み跡をたどって往復。ピークを2つ越えてしばらく下り、いよいよ光岳への最後の登りだ。二重山稜の間の窪地を登りつめた先で踏み跡をはずしてしばし迷う。稜線の南側に正しいルートを発見したが、ちょうどその下は道が崩れていて迂回する踏み跡を登ってきたことがわかった。
 あとはきつい登りだが迷うようなところは無く、標識類が立ち並ぶ光岳に到着。深南部の終点であり起点でもあるこの地まで足を延ばせて満足。無風、気温7℃と暖かい。南アルプスの展望が広がっているが、この時期で積雪ゼロというのは異常だ。頂上には大きなザックの登山者2人組が居た。突然空身で来た私は、光石までピストンしてきたと間違えられた。彼らは大無間から信濃俣を経て縦走してきたと聞いて驚く。東京方面の方で深南部には相当詳しい御様子。入山は我々と同じ23日だから大したもの、上には上がいたという感じ。これから私と同じく池口に下山とのこと。
 あとは往路を戻るのみだから安心、と気を抜くのは禁物。例の崩れているところからルートをはずして右に入るとなかなか正しい道に戻れず、気がつくと先の稜線が左側に見えて、右の間違った尾根に入っていることがわかった。少々焦って強引にトラバースして窪地状のルートに戻った。以降はテープからはずれないよう慎重に行く。大倒木帯の先の下りでは左の尾根に入らないよう要注意。16時に無事テント地にたどり着く。2人組も私の近くに幕営した。

年月日 2000年11月26日(日)
天気 晴れ
タイム 鹿ノ平(6:48)…池口分岐(7:27/7:36)…ザラナギ平(8:38/8:50)…黒薙(9:41/9:50)…遠山氏宅
(11:27/11:30)…大島(12:15/13:40)=(バス)=平岡(14:15/14:25)=豊橋(16:10)

 少々ゆっくり出発。きょうも快晴で4日間とも好天が続いたとは幸運だ。また登山者は結局これまでの2パーティー以外見かけなかった。南アや池口岳,中ノ尾根山などの姿に名残を感じながら、整備された長い下り道を行く。2人組の内1人は池口ピストンに向かい、もう1人は13時代のバスを目指して先に下っていた。私もバスに間に合うようペースを上げる。のどかな遠山邸から、紅葉と渓谷美を楽しみながら車道を歩いてバス停に到着。付近に商店は皆無で、ビールはしばしお預けとなり、お茶を沸かしてバスを待った。

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